2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪10 貸本向けマンガの発刊 1953年、赤本マンガの出版元、大阪の八興が貸本屋向けマンガ本「日の丸文庫」の刊行を開始する。 さいとうのデビュー作『空気男爵』も出版される。 子供たちは、貸本屋で1日目10円、2日目からは5円程度 […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪9 理髪店員から劇画家へ 後に、劇画界の巨匠と呼ばれる「さいとうたかを」は、1936年に和歌山県で誕生した。 その後、一家は大阪府堺市に転居し、理髪店を開業している。 さいとうは理髪店を手伝いながら、合間を見つけては映画館に […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪8 大阪の赤本 戦後間もない頃、子どもたちの間でブームとなったものに赤本があった。 赤本は大阪松屋町の玩具問屋街を中心に制作された書籍で、どぎつい赤色を強調したデザインが多かったため赤本と呼ばれた。 駄菓子屋や縁日の夜店など […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪7 ベストセラー・赤本漫画 1945年8月15日、手塚は敗戦を知って解放感にひたった。 「これでマンガ家になれるかもしれないぞ」と思った。 手塚の名が最初に知られるようになるのは『新寶島』という作品によってである。 1947 […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪6 大阪大空襲に直面 手塚が中学校に入学した1941年、太平洋戦争が勃発し、周囲は軍事色一色に代わっていった。 戦争は日を追うごとに激しさを増し、1945年3月大阪も大空襲に見舞われる。 6月から7月にかけてさらなる空襲を受 […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪5 手塚ゆかりの宝塚 手塚は戦後になって、上京するまで現在の兵庫県宝塚市に住んでいた。その頃の宝塚は、昭和初期のモダニズムが結集したような場所だった。 手塚少年は父親とホテルのレストランで食事をしたり、母親と動物園に行き、そ […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪4 手塚治+オサムシ=手塚治虫 マンガ少年であると同時に、手塚は昆虫少年だった。 自然環境に恵まれた家の周囲で彼は仲間と昆虫採集に熱中した。 小学5年のころ、眼鏡をかけたが、その様子が何やらあの細長くて目の丸いオサムシに似て […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪3 マンガ好きなお母さん 手塚の母はマンガに理解があり、彼の家には200冊ものマンガがあった。 やせっぽちでモジャモジャ頭の手塚は、友達からいじめられることもあったが、そのとき母から買ってもらったマンガが、友達とのコミュニケ […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪2 マンガは日本の大衆文化に 昔からあった戯画の伝統にセリフを加え、ポンチ絵や新聞マンガなどマスメディアの一部として発展したことで、戦後、マンガ文化は大きく変わった。 「子どものためのマンガ」を描き続けた手塚と、マンガにリア […]
2024年2月8日 / 最終更新日時 : 2024年2月8日 admin 遅れてきたライター マンガと劇画の大阪1 大阪に花開く『マンガのDNA』 日本人の誰もが持つ「マンガのDNA」を花開かした漫画家・手塚治虫と劇画家・さいとうたかを。 ふたりが、さまざまな芸能文化の発祥の地・大阪に生まれ、大阪にマンガ文化を根づかせたことには、運命 […]