東山ドライブウェイ 作:醍醐孝典
一月の土曜日の雨の夜、東山ドライブウェイを車で走っていた。外は強い雨が落ちていた。休日出勤にも関わらず、残業もこなし、醍醐の自宅へ戻る所だった。深夜の二時を過ぎた頃、将軍塚への分岐路あたりで、人影を見た。バックミラーを覗くと、丁度明かりの下を髪の長い女が傘も持たずに歩いているようだった。もしかして、車がエンストでもして、困っているのかもしれない。他人事ながら、少し心配にもなって、右足は自然にブレーキを踏んだ。
積みっ放しだった傘をひっつかんで車を降り、笑顔を心掛けて声を掛けると、相手は果たして若い女性だった、しかも色白の可憐な。灯光の加減かもしれないが、病的な程の白さの肌だった。
「どうなさいました? 下まで送りましょうか?」
俺がそう声をかけると、女性は、薄く微笑んだ。そして頷いた。俺はこんな綺麗な女性と少しの間でも、ドライブができるかと思うと、心が弾んだ。もちろん何も期待なんかしていないけれど、綺麗な女性と同席できるのは、やはり男として、うれしく思うものだ。
その瞬間、一陣の寒風が吹き抜けた。
俺は傘が持って行かれそうになって、強く柄を握った。女性が近づいてきたので、傘にいれてやる。
女を助手席に乗せて、車を走らせた。右に左にカーブしているアスファルトの山道をひた走る。雨脚は強く、屋根で派手な音を立てている。対向車は一台もない。
ふと、女性が腕を上げ、左側を指差した。ぽっかりと開いた黒い道が、そちらに伸びている。
「そっちですか?」
俺がそう訊ねると、女は微笑んで頷く。真っ白な微笑だった。
こんな道があっただろうかと記憶をたぐるが思い出せず、そちらにエンストした車でもあるのかと思って、とりあえずハンドルをきった。
薄暗い山道に車を走らせた。見通しが悪くてあまりスピードはだせない。常夜灯は一定間隔であるが、あまりその役を担っていなかった。
なにげなく女性の方を見た。視線に気づいた女は、俺の方を振り向く。と、その瞬間、女性の唇の端から、血が伝い落ちた。
俺は驚いた。
と、その瞬間、車の正面側の視界に大きな影が入った。
俺は必死で急ブレーキを踏んだ。
派手な悲鳴音をタイヤが立てた。
思わず瞑ってしまっていた瞼を、恐る恐る開けた。
視界には、俺の車の数センチ先に、停車している車の後部があった。軽自動車だった。ふと助手席に視線を滑らせると、女の姿はなかった。
俺は慌てて車を降り、前の車の前方へ回り込んでみた。
軽自動車の前部は滅茶苦茶に壊れていた。どうやらここで事故を起こしたようだった。雨音に混じって赤ん坊の泣き声が車の中から聞こえていた。運転席には、顔中血だらけの若い女性がぐったりとしていた……先程俺の車の助手席に乗せた女だった。
携帯電話で慌てて救急車を呼んだ。
後部座席のチャイルドシートに、激しく泣きじゃくっている赤ん坊がいた。俺はどうしたらよいかわからず、右往左往しながら救急車を待った。女の脈をみたが、おそらく、もう死んでいた。赤ん坊はとりあえず暖房の効いた俺の車に移動させた。
ようやく救急車が到着して、救命士が赤ん坊と女性を車の中に搬入した。警察も到着し、パトライトを輝かせている車の中で、俺は警官に事の次第を説明した。
救急車が走り去るときに、「ありがとう」という女性のささやきを聞いた。警官にも聞こえたか訊ねたが、警官は小首を傾げるだけだった。
〈了〉
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