くび 作:雨紗振雲平

 ドアに蝶がとまっていた。通勤電車はすいていた。

 小豆色の斑紋がある黄土色した羽根を水平に拡げている。このかたちは蛾ではないのだろうか。蝶は微動だもしない。時々振動で羽根を揺らしている。死んでいるのかもしれない。朝日に照らされた姿は理科室で見たスライドのように透き通って輝いている。

 『コレクター』と『とべない沈黙』と言うタイトルの蝶が出てくる映画を思い出した。 少年が幻の蝶を追い求める映像が脳裡をよぎる。映画の少年はどんな蝶を手に入れようとしたのだろうか。蝶は採集され標本になって台紙にピンで刺されたのだろうか。

 そういえばこれまで羽根を閉じた蝶の標本を見たことはなかった。ドアに張りついた蝶は無理やり羽根を拡げられピンで突き刺された無残な死体に見えた。

 何故か笑いが込み上げてきた。憐れなやつだ。どれほど自由に大空を羽ばたいても、やがては取っ捕まって張り付けられる運命なのに……

 覗きこむように蝶を見ていたせいか首がまがったままもとにもどらない。有名なテレビタレントの首や手首の振り回す仕種を見ているうちにいつのまにかその癖が乗り移ってしまったのだ。

 身体にあるくびと名のつく部所は血流が留まりやすい。だからくるくるまわしたりマッサージしてやると血の巡りがよくなって疲れた部分がほぐれる。悦楽にひたれるのだ。

 ふと昨晩抱いた女のことを思いだした。彼女には腰のくびれがなかった。バランスボールの上でヨガをするように女の身体の上に乗っかった。

 私にはくびれがないから疲れないのよと言った。だから、疲れたあなたには、私を快楽で征服させることが出来ない。彼女を見れば手も足も彼女の言うようにくびれがない。

あせった視線の先に、彼女の乳首があった。あった、

 あったぞ!歓声を上げ、勝ち誇ったように、乳首を揉み解してやった。

 その瞬間目を覚ました。ガタン、と同時にブレーキ音がして電車は停車した。

 思わず手を伸ばしたが、ドアが開くと同時に蝶はまるで会社へ向かうサラリーマンのように、いそいそと空へ飛び立って行った。乳首の形をした斑紋の羽根を拡げて……