この美しい世界に 作:北脇和典

「今日も、いい天気ね」

 ママが窓を開けてくれる。わたしの顔をやさしく風が撫でていった。暖かい匂いを胸一杯に吸い込む。ママが言ったとおりにいい天気のようだ。鳥の囀りさえ、わたしに話しかけてくるようだ。わたしは目の前に広がる光景を想像する。きれいに澄んだ世界。まだ、一度も見たことのない世界をこの瞳で見ることが、今一番叶えたい夢だ。

 

 廊下を走ってくる音がする。ドアが開き、ママの声がわたしに話しかけてくる。

「もう少しで、目が見えるようになるからね!」

 どうやら、病院の先生との話がついたとのことらしい。ママは上機嫌に話しかけてくる。手術をして、わたしの視力を回復させるようだ。どうも、その先生とママは旧知の間柄だそうだ。

 手術が決まると日々は猛スピードで進んでいき、あっという間に手術を終え、わたしは病室のベッドの上にいた。先生が目を覆っている包帯を丁寧に外していく。目の前が光に溢れ、何も見えない。しかし、感覚がだんだんとはっきりしてくると、白い天井が目に映った。つぎにわたしは細く伸びた白い腕を透かしてみた。青白い血管が目に飛び込んでくる。上体を起こし、窓に映ったわたしの姿をはじめてみた。あまりの喜びにわたしは声が出なかった。そうだ、お礼を言わないと、わたしは振り返る。

 そこに居たはずのママと先生の姿がどこにも見えなくなっていた。部屋の外で、ママと先生の声が聞こえてくる。その声は、まるで恋人達が愛を語っているようだ。そして、わたしに聞かれたくない話をしているようではないか……二人の様子を確かめたくて必死に身体を動かそうとも自由に動かない。足が動かない。腕を伸ばそうとしても動かない。眼球だけはしっかりと動いているのが分かるが、首も動かないので、白い天井を見つめるしかなかった。ちがう、こんなのわたしが望んだ世界じゃない……必死に声を出すが、誰にも気がついてもらえない。ママが先生と入ってきた。二人は仲良く話しているみたいだった。動けないわたしを見て、笑っているに違いない。わたしには確かめる術もない。自然と、涙が出てくる。先生が慌てたようにママに話しかけていた。

「混乱してるんだろう」と、先生が気分を落ち着かせるためのクスリをわたしに飲ましてくれた。

「つぎ、目が覚めたときには、素晴らしい世界がまっているよ。安心して眠りなさい」

 先生は優しい声でわたしに話しかけてくれた。それが効いたのか、わたしの意識は既に遠くなっていた。

 

 目が覚めると、わたしの周りは闇が広がっていた。ママがわたしの手を握ってくれていたようだ。その手は暖かくしっかりと握られていた。わたしはママの顔を見ようと、必死に顔を覗き込むがママの顔が見えず、黒い影にしか見えない。わたしは体を起こし、周囲を見た。世界が白と黒の二色になっていた。そう、黒く見えたものはママだけじゃなかったのだ。窓の外に広がる景色も何もかも黒く映り、青かった空は白くなっていた。わたしは両腕を見た。白い腕には血管が黒く浮き出ていた。それを見てわたしの目がおかしいことに気がついてしまったのだ。これはどうにかしないとと思うと、いてもたってもいられなかった。わたしは、自分の指で眼球を取り出そうとしていた。突然の奇行にママは驚いて、わたしを羽交い絞めにして取り押さえる。わたしが落ち着いたフリをするとママは先生を呼んだ。でも、先生を呼ぶのが遅かったのだ、なぜなら、わたしは眼球を一つむしりとっていたのだから。これで、元の生活に戻れるのだとしたら、安い代償じゃないか……。