よこたわり羽をやすめる鳰鳥(におどり) 作:島ちゑ

 緑おいしげる庭にたつ煉瓦づくりの一軒家をあなたの銀幕に投じてほしい。万華鏡のさきにこころなしみとおせるような丸い小さな映像がゆらゆらゆらゆら陽炎にくるまれた大きな丸になってゆき、やがて靄(もや)にかかり凪がれゆく雲間(くもま)とともにやがて靄(もや)は晴れゆき、ほらフェイドインしてくるでしょう? かろやかなやさしいピアノの音色が聴こえてくる。わたしとワルツを踊ってください。あなたとは夢のなかでは幸せな瞳をかわしあい人生を謳歌するように手と手をとりあい踊ったけれども実際はいちども踊ったこともないなんて。なんてこの世は哀しいのでしょう。でも哀しみなんてぬぐいましょう。木漏れ陽のなかであなたの瞳をさがしましょう。いくら木漏れ陽がスピードをあげてわたしから逃げようとも、わたしはあなたの瞳をさがして木々の枝っ子がゆく手をはばむでこぼこの坂路をワルツを踊るようにくるくるくるくる希望にみちて駈けてゆく。お砂糖がお塩になろうとも、お婆さんがでこぼこ路でころんで可愛いおちょぼ口でちょっとばかり哂おうとも、お昼間のお月さまがウィンクして季節なんてのんびりすてやった風鈴がちりりんちりりん狂舞しようとも、心やさしい詩人の青年が瞳のおくの泪を繊細な指で掬いとろうとしてくれようとも、わたしは希望にみちて駈けてゆく。でもそしてこのやさしい幸せにみちたピアノの音色とはうらはらなお話をしてみるわ。どうかあなたの心が痛むなら銀幕をとじて。でもどうか…… ほら可愛い小さな枝っ子の可愛い小さな木の葉はそよ風にたなびき、なまあたたかい木漏れ陽にゆらゆらゆらゆら囁いて万華鏡のむこうにセザンヌの世界がひろがってゆく。そして庭のむこうにはロマンティックな小さな離れのあずま家がたっていて、そのあずま家は八角形のアールデコの形をしていて小窓にのぞくドレープの淡いブルーのカーテンには処々に黄色くくすんでぬぐいされない小さな深い染みがある。小窓からは怠惰に乱雑に部屋中に吊るされた古いドレスやスカーフや着物や帯、民族衣装のサリーにはげた緑や紫のベルベットのリボンといった雑多で移り気な衣裳たち、茶ばんだちっぽけな埃まみれのフランス人形、日本人形、クーニャンドールのオルゴール、彼女たちは踊りも歌も囁きもお洒落もわすれはて、その傍らには淋しそうに放りだされたインカやら中近東やら、でどこのわからない模様のタペストリーが。どうやら離れの住人は掃除もなにもかもを放棄した怠惰どころか心の病んでいる娘のよう。日がないちにちソファによこたわる娘のはげた薄桃色のペディキュアの足の指だけが母屋の主のおぼろげな視界にあるかないかのように。小窓の娘が眠るでもなく眠っているように薄桃色の足の指と指とをするりするりゆるやかにさすりはじめると母屋の主も胃のうえあたりへ掌の体温をおくりはじめる。母屋の主はもう若くはない男でもう若くはない肥った妻がいて、妻は今しがた陽気にそして威圧的に「じゃよろしく」と男につげて離れてくらす子どもたちへの食べ物を両の二の腕にいっぱいさげてでていった。おくの妻の部屋から籠の鸚鵡(おうむ)のお爺さんが「じゃよろしく」とひくい声で念をおす。今はもうなにもかもをすっかりみてはいないこの男の胃の痛みが増しやがてこの男が亡くなりこの男の瞳の光が完全に失せようと緑は残りそよ風はたなびく。やさしい幸せにみちたピアノの音色よ。めくるめくロンドをくりひろげる木洩れ陽よ。可愛らしい小さな枝っ子たちよ。可愛らしいお婆さん? 心やさしい詩人? 薄墨(うすずみ)の底にしずむものたちよ……