「八百八橋にはドラマがある!」その33

~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~

源八橋

 大阪の桜の名所の一つでもある桜ノ宮やOAPのそばにかかる源八橋。名前の由来もあって古くからあるように感じますが、架橋は昭和のはじめと意外に新しい橋なんです。橋が作られる前は「源八渡」という渡し舟が行き交っておりました。由来の「源八」は天満橋筋沿いにかつて「源八町」があり、そこからと言われています。

橋の西岸は天満橋筋沿いに源八町・友古町と続いており、江戸時代には大坂町奉行所の与力や同心の屋敷があったそうです。当時から桜や梅の名所でもあり、京街道にも近くて交通の往来の盛んな場所でした。架橋後にも二度ほど拡幅されて、現在では三車線の道路となっています。

大川に浮かぶ源八橋

源八論争

 いまでは源八のほうが残ったこともあって名が知られていますが、元々は右岸が源八渡で、左岸は中野渡というそれぞれの町名にちなんだ呼ばれ方がされていました。そのため建設時には源八橋以外の別の名前も検討されています。源八橋の名前に決まったのは地元住民の間で名前がなくなるのが寂しいと保存運動が起きたからです。それも源八町の住民かと思いきや、中野町の住民による運動だったのです。

最終的には源八町の住民も賛成し、源八橋という名がつけられることになりました。渡し船はなくなりましたが、近隣施設を含めていまでも地域住民から愛される場所になっています。

川沿いには公園やリバーサイドの施設が並ぶ

与謝蕪村と源八橋

 桜や梅の名所だったことから、源八橋界隈は散策する人がかなり多くいました。毛馬に生まれ育った歌人の与謝蕪村もこの場所を愛した一人です。彼が残した「源八を わたりて梅の あるじかな」の句が碑文にも刻まれています。春には橋の下に流れる大川沿いの桜が一斉に咲き、辺りは幻想的な色に染まります。散った花弁が水面に流れ、春のシーズンは大勢の観光客で賑わうのです。

源八橋の碑文

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