先祖がえり 作:枝道子
十一月下旬の夜半、久保章宗は小型車を運転して京都府と奈良県の境辺りの山の中を走っていた。
翌日には祖父の十三回忌が営まれる。久保家は奈良の山村に室町時代から続く家で、村の中で最も古く、明治時代からは久保家の当主が村長を務めてきた。久保家の長男である章宗はどんな理由があっても参列しないわけにはいかない。
章宗は京都にあるゲーム機の会社の試作部で働いている。その日も日付が変わるまで、会社にいた。毎晩、深夜に会社の寮でコンビニ弁当を食べ、寮の風呂に入ってすぐ寝るという日々が続いている。それでも、子供の頃からゲーム好きだった章宗は、新しいゲーム機を開発するという今の仕事が辛いと思ったことがない。
車は漆黒の闇を走っている。月明かりで山の稜線だけが何となく見分けられる。カーナビによれば、章宗の実家の氏神である須佐神社の横を通過しているはずであるが、暗闇の中、道の両側に何があるかまったくわからない。
あちこちから犬の遠吠えが聞こえる。この辺りに人家はほとんどないはずだから、野犬だろうかと章宗は思った。車に乗っているからいいようなものの、こんなところは怖くて歩けない。しかし章宗の実家もここと大して変わらない。山を背に周囲は休耕田ばかりの一軒家である。大学から実家を離れ京都に出てよかったと改めて思う。
その時、章宗の鼓動が急に早まった。そして突然、どうしようもない衝動にかられて大声で叫んだ。章宗の耳に、周りの犬たちの遠吠えと寸分違わぬ声が聞こえた。章宗はいったい自分に何が起こったのだろうと不安に駆られた。吠えたいという衝動はなおも章宗を突き動かしている。よほど緊張感を保たなくては理性を失いそうな恐怖があった。
章宗はハンドルを握る手を見て驚いた。うっすらと白い毛が生え、指が縮んで来ている。
「犬」
章宗の脳裏に子供の頃、祖母から聞いた言い伝えが蘇った。
室町幕府が衰えた戦乱の頃、久保家の娘が、近くの山に住むマタギの猟犬に攫われ犯された。戻ってきた娘は身ごもっていた。久保家の当主は氏神の社を新たに造営し、獣の血が子孫に現れないことを祈願した。
娘は無事に男の子を生んだ。氏神の庇護の下に生きるため、久保家の当主はこの地を離れてはならないと代々伝えられてきたが、進歩的な章宗の両親は意に介さなかった。
小型車は大きく左右に揺れ、ついに山道を外れ、横転を繰り返しながら崖を落ちた。大破した車体の隙間から、一匹の白い犬が狂ったように激しく唸り声を上げながら走り去った。