許されざる冒涜 作:浅野務

 名医として名をはせている脳外科医の野村義三は、今日も研究室に閉じこもって思索ににふけっていた。野村には大きな野心があった。だが彼の野心を実現するための時間はそう多くはなかった。六十五歳という年齢が彼を焦らせていた。彼の野心とは脳の移植を人体で行う事である。彼は自問自答した。

 <人間とは、即ち脳である。人格も感性も善も悪もすべては脳の働きによるものである。脳には大宇宙に匹敵するような神秘的な不可思議が詰まっている。脳は神の領域である。人間が脳に手を加えることは神への冒涜ではないか。だが、わたしは神への冒涜といわれてもやりとげたい。たとえ火あぶりの刑に処せられても、なしとげたい。歴史に名を残したい。自由に切りきざむことができる生きている人体が欲しい・・・>

 そんなある日、野村に吉報が届いた。死刑囚がけいれんを起こして病院に運ばれて来たのである。T大学付属病院の院長は治療は野村に一任すると言ったのである。けいれんは脳の疾患による疑いが強いというのである。野村は千載一遇のチャンスととらえた。死刑囚はまだ三十五歳である。罪状は強姦、窃盗、殺人である。犯行は残虐で更正の可能性はなしと見なされて死刑となった非道の犯罪者である。死刑囚を前にして野村は野心を燃やす鬼畜と化した。だが、移植には、もう一人生きている人体が必要だった。もはや医者としての良心を失った野村は、娘の雪江を第二の人体にすることにした。

 野村は、三十歳の雪江を研究室に呼び出し、言葉たくみに睡眠薬で眠らせた。雪江の頭を切り開き脳を取り出し、死刑囚の脳と入れ替えた。鬼気迫る形相で移植を終えて、野村は雪江にささやいた。

<さあ、雪江、お前は生まれ変わるんだよ。お前は別の人間になるんだよ。雪江、パパを喜ばせておくれ。別の人間に生まれ変わっておくれ。お前は親孝行な娘だ。母さんもあの世で喜んでいるよ>

 麻酔から覚めた雪江は別人に変わっていた。獣のような目つきで辺りを見回し野村に襲いかかり手術室から逃亡した。瀕死の重傷を負った野村は手術室で発見され一命をとりとめた。駆けつけた警官は死刑囚の犯行だと決めつけてその場で射殺した。

 雪江が逃走してから残虐な犯罪が頻発し社会を震撼させた。警察に非難が集中したが雪江をとらえることはできなかった。犯罪のあまりのむごたらしさから犯人は粗暴な男との思い込みが強かったからである。犯行は切り裂きジャックを思わせる猟奇的な犯行だった。妊婦を襲い腹を割き胎児を取り出して妊婦の口に突っ込んだり、若い女性を天井から逆さ釣りにして体中をナイフで突き刺し頭の皮を剥いだりした。雪江の最後の犯行は、高層マンションの一室だった。『女』の雪江はどこへ行っても怪しまれることはなかった。部屋に押し入るのも簡単だった。チャイムを押して<ガス漏れの点検に来ました>と言うだけでよかった。雪江は部屋に押し入り、いきなり主婦に斬りつけた。血まみれになりながらも必死に抵抗する主婦を後ろ手にして手錠をかけ、目玉をえぐり、頬を切り裂き、耳を切り落とし、指の爪につまようじを突っ込んでグリグリと動かし、苦悶する様をみてにんまりとする雪江であった。だが、犯行後、雪江は涙を流し叫んだ。悲痛な叫びだった。

「私は・・私は、どうなっていくのよ、私を死なせて、お願い」

  防犯カメラにはマンションに入っていく雪江が写っていたが警察は見逃していた。雪江が『女』だからである。だが、専従班の刑事が幾つかの犯行現場の防犯カメラに雪江の姿があったことに気づいた。警察にビデオを見せられた野村は一部始終を告白した。

 野村の告白によりサウナに張り込んでいた婦人警官から雪江発見の一報が入り警察と野村が急行した。雪江と対峙した野村はつぶやいた。

「神よ、万物創造の神よ、罪は我にあり、許されざる者は我なり」

 野村は刑事から与えられた銃で雪江を射殺した。そしてすぐさま自分のこめかみを撃ち抜いた。息絶える雪江は消え入るような声でつぶやいた。

「ありがとうパパ、これで楽になれるわ・・・」

 一筋の涙がキラリと光った。

【おわり】