「八百八橋にはドラマがある!」その19
~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~
【京都番外編】信長と秀吉の架けた三条大橋
京都の鴨川にかかっている三条大橋。始まりは織田信長が京都に上洛した際に、都市整備の一環として架橋が開始されたとあります。完成するのは秀吉の時代になってからのことなので、けっこう時間がかかった感じです。三条大橋は江戸期において五街道の一つである東海道の西の起点として発展していくことになります。京都を代表する橋へと成長していきます。
三条大橋は公儀橋として管理され、元禄・明治・大正時代に架け替えをされていきます。現在の橋は昭和25年に架けられたものになります。欄干には国産の桧が使用されており、往時の面影を残す形で現存しています。
歴史が作られた三条の河原
三条大橋の歴史を語るうえで欠かせないのは、鴨川に広がる三条河原です。処刑場があった三条河原は歴史のいろんな場面で登場いたします。有名な人だけでも、大泥棒の石川五右衛門、豊臣秀次、石田三成などがここで処刑されたり、さらし首になったりしています。
時代を経た江戸時代の末期には、三条大橋の高札(制札)を巡って新選組と尊王攘夷派の武士たちとの間で争いとなります。制札を抜こうとした土佐藩士を、新選組が取り押さえた三条制札事件は有名です。その新選組の隊長・近藤勇が捕まった後に、首がわざわざ三条河原まで運ばれるなどがありました。やはり京都は歴史的にも重要な場所だったのだと分かります。
東海道中膝栗毛と三条大橋
東海道の起点でもあった三条大橋には、弥次さん喜多さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛」にも登場します。二十年以上にわたって出版され続けた江戸時代のベストセラーでもあったので、現代風に言うと聖地巡礼の場所という感じでしょうか。
そしてドラマと言えば、青春の熱いドラマが繰り広げられたのもこの場所です。実は三条大橋は駅伝発祥の地でもあります。後の箱根駅伝の原型にもなった「奠都記念“驛傳”徒歩競走」が世界初開催されています。京都から東京へと向かう東海道の500キロ以上の道がコースとなり、何十人ものランナーがタスキをつないで走破するという規格外の大会でした。駅伝の言葉はこの時に作られ、いまは世界でも「EKIDEN」として広がっています。