「八百八橋にはドラマがある!」その18
~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~
どれにしようか、大江橋
大阪を南北に走る大動脈・御堂筋にかかるのが大江橋です。この大江橋は淀屋橋と同時に架け替えられる際に、コンペが行われたことでも有名です。この二つの橋は大阪市役所を挟むように設置されるため、水都大阪の八百八橋の中でも看板的な橋として重要視されました。そのため丈夫であればいいということではなく、大阪市の顔となるデザイン的にも優れたものが求められたのです。
二つの橋が共通のデザインとなることや、御堂筋に架かる橋としての大きさ、周囲の景観との調和など厳しい条件が課されました。最終的には大谷龍雄のデザインが採用され、現代までその形を残しています。馴染み深いこの橋にもしかすると別の案が採用されていた可能性もあり、全く違った橋が大阪の顔となっていたかもしれません。
大江橋の歴史
大江橋を含む淀屋橋などの大川に架かる橋は、江戸期の堂島開発と共に架けられていきます。大阪の発展と共に歴史を刻んできた大江橋ですが、1909年の北の大火(別名・天満焼け)と呼ばれる火事で焼失してしまいます。空心町から出火したこの火事は北区の大半、福島区の一部にまで及んだとも言われています。
しかし、御堂筋は大阪の大動脈です。翌年には旧大阪市電の南北線支線の開通に合わせ、橋の架け替え工事も行われました。最盛期には大阪駅から大江橋を経由して渡辺橋まで市電が走っていたというのですから、当時の風景を一度見てみたかったものです。
大江橋と落語
江戸時代には各藩の蔵屋敷が中之島周辺には数多く建てられています。当然、橋も多くあって幕府がかけた橋や、町が作った橋などもあって無料から有料まで種類も様々でした。道の案内なども「どの橋を通って」となるので、それに伴うトラブルも多かったようです。
落語の「胴取り」もそんなやり取りを題材にした噺の一つです。蔵屋敷でこっそり行われていた博打に負けた中間の男が帰り道で、侍に道を聞かれる。しかし、怒っていたので知らねえと失礼な態度を取ったところ、首を切られてしまいます。首だけになった男ですが、悪態は止まらず。通りかかった仲間に「腹いせに博打に行きたいから金を貸してくれ」と頼むのですから、全く懲りてない。なんとも困った話です。