「八百八橋にはドラマがある!」その29

~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~

上方芝居の古蹟・瓦屋橋も時代には勝てず

オーバーツーリズムが日本でも話題になっていますが、大阪も観光地として世界中から人々が訪ねてきています。良い事でもありますが、かつての面影を失ってしまった場所も存在します。その一つが瓦屋橋です。

瓦屋橋の由来は東側に瓦生産が盛んであった瓦屋町があり、橋のたもとには瓦を運ぶための桟橋もあったそうです。芝居小屋の多かった道頓堀にも近いため、この場所を題材にした芝居もありました。それが「夏祭浪花鑑」です。泥場と言われる田んぼの中で主人公である侠客の義平次と舅の団七が争う場面が人気で浄瑠璃や歌舞伎の演目としても有名です。しかし、現在は高速道路の下でネオンに照らされながらひっそりと佇んでいるだけなのです。

瓦屋橋

瓦屋橋の歴史

瓦屋橋は東横堀川にかかる八幡筋にある橋になります。西には心斎橋筋があり、東側には名前の由来ともなった南瓦屋町があります。古くは西成郡西高津村の土地であったものを、良質の粘土が産出されるため御用瓦師の寺島藤宗左衛門が借り受けたそうです。江戸時代には大坂の瓦生産の中心地へ成長していったとされています。橋がかけられたのも江戸時代の元禄であり、明治までは木橋として存在していました。鉄製の橋になったのは昭和になってからなのです。

瓦屋橋の碑文

近松門左衛門のライバルも舞台に選んだ

近松門左衛門と同時代の浄瑠璃作家である紀海音(きのかいおん)も実在の事件を取り上げて、「お染久松袂の白しぼり」という芝居にしています。油屋の娘お染と丁稚奉公する久松は、親の決めた縁談により引き離されてしまいます。諦めきれないお染は故郷へ戻った久松を追い、死ぬ覚悟で彼を連れ戻します。しかし、再び二人は引き離されてしまい、ならばと来世を誓って死ぬ物語です。この舞台になる油屋が瓦屋橋にあったとされており、「夏祭浪花鑑」と同様に名作の舞台として庶民にも親しまれてきたのです。

瓦屋橋から東横堀川を見て

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