「八百八橋にはドラマがある!」その13
~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~
大阪の町橋・心斎橋
水運で栄えた大阪の町の整備は、水路や堀の建設から始まったとも言われています。時の政権による多くの公儀橋も作られましたが、町民が作った町橋も沢山ありました。中でも心斎橋は町橋の代表格と言われています。長堀の歴史は古く、江戸時代の初期にはすでに完成しています。町が発展していくにつれて、公儀橋だけでは足りずに有力な商人の手によって橋が増やされていったという歴史があるのです。
「浪華長塹心斎橋記」という古文書によると、心斎橋を作ったのは伏見出身であった岡田心斎を中心にした商人たちだとされています。しかし、架け替えなどの維持管理は橋掛り町と言われた橋元と、近隣の町衆によって負担されていました。橋からの距離によって負担が決まっていたらしく、寄り合い所帯で運営していたというのだから日本人らしいとも言えます。
今の心斎橋は?
心斎橋は長堀が埋め立てられているため橋としての形はありません。ただ名前だけということでなく、現在は歩道橋として当時の意匠をわずかに残しながら現存しています。長堀橋との交差点なので、みなさんも一度は通られたことがあるのではないでしょうか。
橋としての最後は明治六年に架けられた弓形をした鉄製のボーストリングトラス橋でした。当時としては珍しいもので、明治末期に市電の開通で移転になった時も境川橋として再利用されています。さらに新千舟橋となり、鶴見緑地内にすずかけ橋として保存されるという運命をたどります。そこで終わりかと思いきや、まさかの五度目の移転がありました。鶴見緑地駅から近い場所に緑地西橋として現在も姿を残しています。
心斎橋と言えばブラックレイン
心斎橋でブラブラすることを「心ぶら」なんて言いましたが、心斎橋と言えばやはり映画「ブラックレイン」でしょう。撮影当時は長堀川は埋め立てで既になかったのですが、映画内ではなんと橋として心斎橋が登場します。夢がありますよね。スモークや編集で歩道橋とはわからないように撮影されています。マイケルダグラスが立った場所だと思えば、なんか郷愁がわいてきませんか?