文楽を見よう2
文楽の歴史
文楽は「人形浄瑠璃」とも呼ばれ、人形芸と音楽の浄瑠璃がドッキングしてできあがった芸能だ。
日本では古来より人形は神事などに用いられるもので、娯楽に供するものではなかった。
それが平安時代になって、傀儡(くぐつ)と呼ばれる集団が、首から提げた箱に小さな人形をのせて、めでたい歌や物語を歌いながら人形を操る芸を披露して全国を巡り始めた。
一方では、盲目の琵琶法師が語る「平家物語」が人々の感動を呼んでいた。しかし、「平家物語」はいかにも地味すぎた。そこに登場したのが、都から奥州に下る牛若丸と、三河国で出会った浄瑠璃姫とのラブロマンスを描いた「浄瑠璃姫」物語だ。
琵琶法師はどこに行っても人々に「浄瑠璃をやれ」とせがまれる羽目になった。浄瑠璃姫物語が機縁で、いつしか物語に節を付けて語る音楽そのものを「浄瑠璃」と呼ぶようになる。
そして、人形芸と浄瑠璃が出会ったところで、人形浄瑠璃が誕生し、文楽という芸能が成立した。
続く戦国時代の永禄年間には、琉球から三味線が渡来して、浄瑠璃の音楽性が高められることになる。
江戸時代に入ると、竹本義太夫(1651~1714)が登場し、現代まで続く義太夫節を完成させて、文楽の音楽が確立されることになった。byメイ