「八百八橋にはドラマがある!」
~水の都大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~
八百八橋(はっぴゃくやばし)
村田英雄さんの名曲王将(作詞:西條八十)に「うまれ浪花の八百八橋」とも歌われている八百八橋(はっぴゃくやばし)。
ご存じない方の方が多いと思いますが、江戸時代に天下の台所として栄えた大阪は水運で繁栄した都市でした。海の入り口としての大阪湾、京都へ延びる淀川、奈良へ延びる大和川という地の利があり、大阪市中は縦横に堀川がめぐらされていたのです。堀川のある所には当然ながら橋ができ、江戸の八百八町に対して、いつしか八百八橋と称されるようになったと言われています。
橋は物をつないで経済を動かし、それに伴って人々の移動も盛んにしました。橋は出会いの場所や別れの場所でもあります。そんな多くの河川や橋に恵まれた大阪にはたくさんのエピソードやドラマもいっぱいあります。この素晴らしい大阪の町にスポットライトを当て、魅力を伝えていきたいと思っています。
大阪に残る地名と水
大阪には現在も昔の水運に関係した地名がたくさんあります。
日本一長い商店街としても有名な天神橋筋。大阪天満宮の参拝で架けられた天満橋。大阪のミナミはなんばと呼ばれるのが普通ですが、浪速の三大橋と言われた難波橋が由来です。他にも京橋、鶴橋、淀屋橋、四ツ橋、肥後橋、渡辺橋、農人橋、長柄橋など橋と名のつく地名は地名や駅名として残っています。
川にちなんだものでは旧淀川の支流であった中津川周辺が中津と呼ばれたり、堂島川や土佐堀川も地名として残っています。川だけでなく、堂島川の中州だったので中之島。北浜は大川に北面した場所だったので北浜となりました。他にも堀江、海老江、鷺洲、福島、豊津などなど。
シナリオ・センター大阪校として忘れてはならない「西中島」は神崎川と大川に挟まれた地域の名称である「中島」の西側という意味だとか。飲み会でお世話になった「十三」は、淀川の十三番目の渡しだったという説も残っています。
猪甘津橋(いかいつのはし)
記録に残る日本最古の橋も大阪に。それが猪甘津橋(現在の東成区猪飼野辺り)で、日本書紀にその名が登場しているので四世紀ごろにはすでにあったとか。鶴がたくさん群れていたので、鶴橋とも呼ばれた別称が現在は残っています。
しのぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めし ゐかひ津の橋
(忍んではいても、人がそれだと見ているなかを、はじめて猪甘津の橋を渡った)
小野小町が詠んだとされる歌が猪甘津橋には残っています。人目を忍んで愛しい人へ会いに行くドキドキ感が伝わってきます。
橋を渡って見知らぬ場所へ行けるのも恋のなせる業なのかもしれません。今も昔も恋する乙女は強いということですね。