なにわは、仏像の宝庫?! 4

70年大阪万博は、観音像で幕を開けた

日本が万国博覧会に公式参加したのは、1873年のウイーン万国博覧会。この時、鎌倉大仏頭部の張子などが展示され、仏像が日本を象徴するものとして海外に紹介された。仏教の神である仏像は、当時、ヨーロッパではあまり知られておらずインパクトは大きかった。

1893年のシカゴ万国博覧会では、平等院鳳凰堂の外観を模した日本館が建設され、来館者は寺院建築の見事さに驚かされた。そして…1970年の大阪万国博覧会だ。

アジアで初めての万国博覧会は、これまで欧米キリスト文化圏で行われてきた万博とは違い、仏教文化圏の来園者も多く、仏像も単なる珍しさから、積極的な宗教的意味合いが理解されるようになる。

大阪万博では、薬師寺東院堂の銅造聖観音立像(国宝:奈良市)の精巧な模刻が出展された。本像は、白鳳~奈良時代(7世紀後半~8世紀前半)に造立されたもので、インド風でもあり、白鳳彫刻の童顔とリアルな奈良彫刻造形が融合した、日本の代表的な観音像だ。

時代の転換期に、舶来文化を取り入れ日本独自の新様式を作り上げた日本人の個性を遺憾なく発揮した作品だ。まさに、新時代の幕開けを告げる大阪万博にふさわしい展示品であったといえよう。

科学の最先端を示すとともに、大阪に都があった激動と躍動の7世紀に思いを馳せる、そんな70年万博だった。byメイ


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