なにわは、仏像の宝庫? 2

難波津に来たスゴイ菩薩さま

遥か昔、遣隋使や遣唐使が中国文化移入のため、住吉津(すみのえのつ)や難波津(なにわつ)から出帆した。その際、住吉大社で祈りがささげられ、船にも住吉神が勧進され、さらには神主(津守氏)も同船した。また帰りも難波津経由で都にもどっている。

これらの遣隋使や遣唐使が持ち帰ったと思われるお宝仏、観音菩薩立像が円通寺(堺市北区百舌鳥赤畑町)に客仏として安置された。(現在は、堺市博物館が所蔵する重要文化財)この仏像の材質は、ビャクダン(日本では自生せず、中国大陸南方産)で、いわゆる「檀像(檀像)」だ。しかも、通常、檀像は高さが30cm前後が多いが、74cmもあるビッグサイズなのだ。

これが一刀彫でできているから驚く。中国の石彫を思わせる面相や、装飾過多と思える飾り、左肩にだけかけられた着衣(ランニングシャツの右肩がないものと思えばよい)などは、隋時代(581~618年)の仏像によく見られる表現だ。

現在、中国古代の仏像で木造のものはほとんど残っておらず、隋時代の木彫としてはたいへん貴重なものだ。
観世音菩薩は、『西遊記』では物語全般にわたって、釈迦如来の命を受けて、三蔵法師を守るため何度も登場する、人々になじみの深い仏さまだ。byメイ

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