「八百八橋にはドラマがある!」その10

~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~

道頓堀で一番古い日本橋

大阪のミナミにある日本橋(にっぽんばし)は道頓堀の開削とともに架けられた橋です。なので歴史的にはけっこう古く、誕生は江戸時代にまで遡ります。場所は堺筋と紀州街道を結ぶ要路であり、当時の江戸幕府がかけた公儀橋になっていました。この橋名から取った日本橋筋商店街は、中之島の難波橋から船場、島之内を南北に貫き、浪速区の恵美寿にいたるまでの長い町筋になっています。この日本橋(にっぽんばし)の呼称が使われだしたのが、寛政ですから二百年以上も親しまれてきた名前でもあるのです。

道頓堀沿いの日本橋

ニッポンイチ

 東京にも日本橋(にほんばし)がありますが、関西など西日本では日本(にっぽん)と呼ぶことが多くなっています。諸説はありますが、奈良時代くらいまでは日本の国の呼称は日ノ本(ひのもと)や大和だったそうです。平安時代に入って中国との貿易が増えるにつれて、呉音で「ニエットプアン」と呼ばれたものがニッポンになったとも言われます。

なので、中央区日本橋一丁目は略するとニッポンイチ。場所もよく、縁起がいいというのでお店を出される方も多かったんだとか。実はお堅いイメージのある金融機関にも、このニッポンイチという視点があります。メガバンクでもある三菱東京UFJ銀行はかつてこの場所にあった支店を日本一支店としていました。(現在は移転済みですが、存在しています)みんな、ニッポンイチが好きなんですね。

にっぽんばし

日本橋と舞台の町

 水路を使った物流で発展した大阪の町には、物だけでなく人もどんどん集まってきます。そうすると仕事の後の娯楽のニーズも大きくなります。日本橋が架かる道頓堀では17世紀後半にかけて中座・角座・浪花座などの名劇場が建てられ、歌舞伎の隆盛を迎えていました。また人形浄瑠璃の竹本座や豊竹座も完成し、大きな芝居町を形成していきます。さながら東洋のブロードウェイといっても過言ではないほど。

 現在でも歌舞伎の大阪松竹座や国立文楽劇場などの大きな劇場をはじめ、演芸は角座やなんばグランド花月の舞台でにぎわいます。今も昔も役者や芸人たちの町だったのです。

人でにぎわう日本橋交差点

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