「八百八橋にはドラマがある!」その11

~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~

目立たないけど旧高島屋のあった町

 九之助橋(くのすけばし)と言っても、あんまりイメージは湧かないかもしれません。現在は高速道路の下にちょこんとあるだけの存在ですから。でも、昭和初期まで百貨店の高島屋はこの九之助橋にありました。高島屋と言えば、みなさんは南海の難波駅を思い浮かべるでしょうね。当時は松屋町の近くにあったんです。

 江戸の初期に建てられた九之助橋の由来は、橋の西側が九之助町だったから。付近には住友の銅吹所や鋳物屋、鍛治屋が立ち並んでいた工業の町でした。橋を渡ると松屋町筋や空堀商店街など昔ながらの大阪が色濃く残る場所でもあります。

九之助橋

東横堀川の十四橋

九之助橋は、松屋町と瓦屋町、そして島之内を結んでいる東横堀川に架かる大宝寺通の橋です。豊臣秀吉の時代の絵地図にも九之介橋と記載があるので歴史も長い橋の一つです。そんな九之助橋がかかる東横堀川には全部で十四個の橋が架かっています。現在は高速道路の下となって目立ちませんが、土佐堀から分かれて南の道頓堀へとつながっている大動脈でもあります。

東横堀川の歴史は古く、大阪城の掘として作られた大阪市最古の堀川でもありました。大阪の南北を結ぶ水運の要の場所でもあったのです。

東横堀川と道頓堀の交わる地点

落語と九之助橋

 実は九之助橋は落語の舞台にもなったことで有名な場所なんです。しかも、古典落語の名作「らくだ」です。上方風に言うと「らくだの卯之助」で、九之助橋にも似ていますね。登場人物も多く、酔った芝居などもある難しい演目のため真打の大ネタとも言われています。

 そんな九之助橋がどこで登場するかと言えば、死んだ男(らくだ)を担いで大家のところへ行くときに渡る橋。つまり、かんかんのうを踊りに行くという下町のでたらめな男たちの生きている場所でもあったのでした。あたたかい人情が息づく大阪の下町だからこそ、この舞台になったんだと納得できる場所なのです。

九之助橋碑文

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