「八百八橋にはドラマがある!」その4

~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~

日本一の戎橋

 大阪ミナミを代表する道頓織にかかる橋と言えば、この戎橋がまず浮かぶのではないでしょうか。

戎(えびす)と言われているのは、今宮恵比寿の参詣道路だったからです。大阪の繁華街のど真ん中。そして、観光地としてグリコの看板を背負いし姿。関西の某有名球団がAREした時のアレするスポットとして、何度もニュースなどで取り上げられてきました。不名誉ながら日本一有名な橋といっても過言ではありません。

そんな戎橋ですが、かつては知る人ぞ知る芝居スポットだったのです。

 芝居好き、にこにこ渡る戎橋(川柳)

 などと呼ばれたように、江戸期には堀川の発展に伴って周辺には道頓堀五座と言われた松竹座、浪花座、角座、中座、朝日座、弁天座という芝居小屋が作られていきました。現在でも一部はその名残を残しています。

道頓堀に架かる戎橋

道頓堀十四橋とその歴史

この堀にかかる橋は東から下大和橋、日本橋と全部で十四もあります。道頓堀の顔とも言える戎橋もその一つです。

道頓堀は秀吉に仕えた安井市右エ門道頓がこの場所に領地を得たことで開発に着手しました。私財を投じたこともあり、完成後に道頓の堀と呼ばれたのが始まりと言われています。道頓堀は北堀(堂島川)があったので、南堀や新堀と呼ばれました。

ここら辺を”ミナミ”と称しますが、水運で財を築いた商家が船乗りたちをもてなすための場所として「南地五花街」(なんちごかがい)できたのがきっかけだと言われています。、最盛期にはお茶屋が立ち並んでいて芸伎さんも三千人近くいたとか。北新地よりも歴史が古く、夜遊びのステータスでした。今もたくさんの夜のお店が並ぶのも、当時からの歴史が続いているからなんですね。

戎橋

戎橋とドラマ、川柳

 戎橋はかつてナンパの名所でもあり、ひっかけ橋なんて呼び方もされてました。そのせいなのか、向田邦子賞を受賞したNHKのドラマ「橋の上においでよ」の舞台となっていますが・・・これってテレクラで知り合った男女の話なんですよね。

または「ミナミの帝王」のロケ地として戎橋界隈は描かれます・・・いつか戎橋を舞台に安心安全な大阪ドラマが描かれることはあるんでしょうか。

 大阪は よいところなり 橋の雨

                  (岸本水府の川柳)

戎橋に残るコピーライターの先駆けとしても活躍した岸本水府の川柳です。八百八橋と呼ばれた大阪は本当に橋の多い町。そんな橋に雨がかかる風景が良いとうたわれたものです。

賑わう戎橋

大阪の川柳界で活躍した様子を田辺聖子さんが「道頓堀の雨に別れて以来なり」で描いています。岸本水府と川柳に命を懸けた仲間たちとの生きざまが、いつかドラマとして描かれるといいなぁと思う・・・今日この頃であります。

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