なにわは、仏像の宝庫?! 1
なんばに捨てられた百済の仏像
「阿弥陀如来及び両脇侍像」は、百済国(4世紀前半~660年)から欽明天皇(509~571年)に献上された仏像。この由緒ある仏像は、蘇我氏と物部氏との崇仏排仏の争いの末、なんと難波の堀江に捨てられた。
古来より日本は、自然を神格化して崇める八百万(やおよろず)の神への信仰があった多神教の国だ。6世紀半ば、そこに仏教が伝来し、様々な仏様が持ち込まれる。国内では宗教対立が起こり、仏教推進派の蘇我氏と仏教反対派の物部氏との対立が生じていた。その結果、阿弥陀如来像が捨てられ、これを拾った信濃国の国司の従者だった本田善光が持ち帰り、奉納して建立したのが、信濃の善光寺だ。
阿弥陀如来像の姿は、舟形のひとつの大きな光背に三尊が立つ『一光三尊』形式で、中国から韓国、日本で盛んに造られた。両脇侍の手が交互に重ねる姿が特徴的だ。
なお、物部氏がこの仏像を捨てたとされる池が今ものこっている。大阪市西区北堀江にある和光寺(大阪市指定文化財)の「あみだ池」がそれだ。
このあみだ池は、上方落語の演目にもなっている。和光寺に忍び込んだ泥棒が寺主に「この寺へ誰が行けと言ったのか?」と問われ、「あみだがいけと申しました」とのオチがついている。byメイ