「八百八橋にはドラマがある!」その35

~商人の町大阪にはこんな素敵な場所がいっぱい~

昭和の時代の昭和橋

八百八橋と言われた大阪ですが、最盛期にはその数を上回る千四百を超える橋が架かっていたそうです。そんな多くの橋があることから、橋の名前には地名だけでなく元号を冠して名づけられた明治橋(現存しない)や大正橋なども存在しました。新設の橋が少なかった頃の平成橋や令和橋などは建てられませんでしたが、木津川にかかるこの昭和橋はその名の通りに昭和七年に建設された比較的新しい橋となります。

橋が土佐堀通りから川口へ斜めになるため設計が難しいと言われましたが、斜めになったアーチ橋のシルエットには美しさがあります。

高速道路下の昭和橋

四ツ橋を継ぐもの

四ツ橋は地下鉄線の名前として認知されていますが、現在は橋として存在していません。しかし、江戸時代には橋として実在していました。長堀川と西横堀川が交差した場所に□の形で架けられた四本の橋、それが四ツ橋だったのです。現在は長堀川の埋め立てによってなくなってしまいました。

現代の大阪にもいくつもの川が重なるところがあり、その一点に何本もの橋が架かる場所が存在します。その一つが昭和橋です。川の集合地点は中之島の西端の堂島川、土佐堀川が合流した安治川。その手前には木津川が流れています。Xの形にも似たこの場所に昭和橋は架かっているのです。

昭和橋から見た端建蔵橋

泥の河

宮本輝さん原作の「泥の河」は昭和30年の大阪を舞台にした作品です。主人公の友人家族の住む舟が湊橋の下に停まっていました。湊橋のたもとには『泥の河』の文学碑も残されています。土佐堀川にはポンポン船が何艘もあり、水都と呼ばれた大阪らしい風情が残ります。

『泥の河』の物語はこの昭和橋から始まります。土佐堀川の三方を囲むように架かる湊橋・端建蔵橋・昭和橋界隈が舞台であり、まだ戦争の傷跡を大きく残した時代を映し出します。昭和橋には焼夷弾の跡も残っており、戦争遺産として後世に傷跡を伝えているのです。

小説「泥の河」碑文

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