『ディープ大阪・生野区』 皆さんは生野区というと何を連想しますか? 焼肉?お好み焼き?あるいはリドリー・スコットの「ブラックレイン」にでてきそうな市場、それとも芥川賞作家玄月氏の「蔭の棲みか」や直木賞候補作家梁石日氏の「夜を賭けて撃て」でしょうか? ある意味では道頓堀や通天閣と並びもっとも大阪らしい場所の一つと言えるかもしれませんね。 ところで生野区を訪れたことがある方でも、JR環状線・近鉄東大阪線鶴橋駅高架下の焼肉の香りが充満する国際市場は知っていても、それ以外の歴史にあふれなおかつさまざまな文化や人種のるつぼでもある魅力的な場所を知っている人はまだまだ少ないようです。 ちなみに生野区は人口の30%が在日や韓国人だと言われています。 かつては製靴産業などの町工場が盛えた地域で、景気がの良かった頃に流行っていた毛皮や高級輸入服を扱うブティックがぶらぶら歩いていると商店街からはずれた雑然とした街中に忽然と現れたりもします。 もちろんお好み焼と焼肉の本場ですから、それぞれの味を競う名店も町のいたるところにあります。現在は韓国から出稼ぎにやってくる人たちが増え、特に今里新地は最も活気あるコリアンタウンになっており、その他のアジア各国の人たちも多く住んでいます。 |
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@御幸通り商店街(通称コリアンタウン) A御幸の森神社・彌栄神社 B平野川 C今里新地 |
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@御幸通り商店街(通称コリアンタウン) 環状線の鶴橋駅と桃谷駅のちょうど中間ぐらい(環状線の外側、つまり西方面)、徒歩約10分位にある商店街で韓国食料品店や飲食店が神戸の中華街のように東西に門をもつ300m程の通りに軒を並べています。 かつては『猪飼野』の朝鮮市場と呼ばれ地元の韓国・朝鮮系の人たちの市場でした。ソウルオリンピックがあったころから綺麗に整備されたのですが、それ以前はそれこそ地元の人しか来ないような鄙びた通りで、商店主と客の会話や品書きもすべてハングルでした。冬場になるとオモニが露天でムール貝を向いていたり、手製の餅を売っていたのが懐かしい風景です。 現在は観光客も訪れるようになったので、そのような店も減ったようですが、それでも韓国・朝鮮らしさをそこここに感じることができます。 |
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A御幸の森神社・彌栄神社 御幸通り商店街の東の入口にある神社です。 地元の人たちの守り神になっているお社で、新年の初詣やえべっさんなど季節ごとのお祭りが盛大に行われています。 特に7月中旬の「夏祭り」では彌栄神社共々、地元の青年達が引く地車(だんじり)が町内を巡り、夜遅くまで凄いエネルギーにあふれます。 御幸の森神社 http://mangetsu.site.ne.jp/mise/miyuki.html |
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B平野川 大阪城近くを流れる寝屋川につながる南北に流れる運河です。 小松左京や梁石日の小説で有名なアパッチ族が活躍した、川の支流になるのでしょうか? 現在は高く堤防で囲まれ、流れのないよどんだ臭いどぶ川ですが、小説を読まれた方は当時のバイタリティあふれるアパッチ族の活躍が目の当りに浮かんでくることでしょう。 |
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C今里新地 近鉄東大阪線今里駅を南に5分ほど歩いた所にある新天地です。 未だに年老いた芸妓がおり、大阪の祭りの皮切りとなる愛染祭の宝恵駕籠者行列には今里新地の芸妓も参加していたそうですが、今はどうなのでしょうね。 愛染祭 http://www5.ocn.ne.jp/~aizen/matsuri/bottom.html (上原謙・田中絹代主演の「愛染かつら」はここが舞台なのはご存知でしたか。) 古くはちかくの小金持ちや市内では顔を知られたくない人たちの遊び場であったようですが、今やそのような遊びをする人も減ってしまい、多くの店が飛田や松島のような女性を売る店の営業をしていたり、韓国パワーの進出で、韓国料亭やサパークラブなどもたくさんできています。またソウルにあるようなトッポギや韓国風おでん、キンパプという海苔巻を売る屋台も出ています。またここでしか食べられない韓国風中国料理の店があったりもします。 前述のように今や鶴橋界隈よりも活気があるコリアンタウンといっても間違いないでしょう。 余談になりますが、大阪にはこの今里新地以外に松島新地、飛田新地、信太山など法律上は禁止されている営業を昔ながらの建物で行う地域が相変わらず存在しています。 他の地域では形態や業態を変えているのに、一体どうしてなんでしょう? 一応名目上は旅館営業、飲食店営業になっているので、飲食店営業をしている飛田新地では必ずビール等の飲料を提供しなければならず、また布団を出すと飲食店ではなくなり営業違反になってしまうので、座布団しか使えないそうです。またそこで働く女性たちも仲居・給仕という形態で雇用されているとのこと。(耳学問の鳩子でした。) |