墓参礼讃 作:出雲弘紀

 墓所と聞けばホラーなイメージを浮かべる人もあるだろうが、故人の足跡を偲べる格好の場所であることはあまり知られていない。

 斯く言う私は、その足跡を訪ねる墓参人の一人である。その日も私は、阿部野図書館の三階通路の窓から西に隣接する阿倍野霊園を見下ろしていた。東西四百メートル、南北百七十メートルに及ぶこの墓地には、著名な人物の墓石がいくつもある。

 墓の立つ敷地は一定ではなく、大まかには六つに区画割りされている。霊園に一歩足を踏み入れると、さまざまな宗派の墓碑があり、形状は多種多様で、見ていて飽きない。

 霊園の上空を掠めるように高速道路が走り、その向こうには高層のマンション群と、今春オープンしたばかりの超大型商業施設キューズモールが見えている。

 大阪商工会議所初代会頭の五代友厚、第七代大阪市長関一、東洋紡績初代社長山辺丈夫など政界・財界の人物の墓碑に接した後、私は興味津々でその人物の伝記を読んだ。

 大阪毎日新聞の販路拡張のため『相撲・歌舞伎人気投票』を実施し大人気を呼んだ仕掛け人桐原捨三や「何をなされても、見る度々に花が増してくるとは、妙なお人じゃ」のセリフが評判だった二代目中村雀右衛門の墓を見つけた時は、嬉しさの余り、帰宅すると直ぐにインターネットを駆使して人物情報を入手したものだ。

『万巻の書を読み、万里の道を行く』

 借受けた書籍の詰まった重いカバンを持ち直すと私は、座右の銘を口ずさみながら図書館を後にした。

 暖かい春の日差しが私を包む。霊園の中はさながら私のテーマパークである。入場を拒まれることもなく、入場料を取られるでもなく、気ままに好きなだけ、この大都会の中に取り残されたように息づいている神秘的な空間に身を置くことが、還暦を迎えた私には心地良かった。

 足跡を知った人の墓石の前を通る時は、必ず手を合わせる。知人の墓を素通りすることはない。知人は既に四十四人。一週間に一人は知り合いになって行く。

 一通り知人に挨拶を済ました私は、霊園の奥まった一角に足を向けた。青空を背景に飛行機雲が伸びている。雲に気を引かれた私は、足元の小石に躓き、態勢を整えるように足を踏ん張った。目の前に真新しい墓石がある。

 墓碑銘を見て私は、目を疑った。

「私の…墓石…」

 園内の桜の木々から散ったのか、私の目の前に桜の花びらが雪のように舞った。

「私も友の仲間入りか…」

 花霞の中で、私はしっかりと四十五人目の知人を見つけたと思った。

(完)