『環状線ぐるりひと周りシリーズ』 〜ようやく芦原橋編〜 |
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年末から2回続けて番外編となりましたが、ようやく本来の環状線一回りに戻ってくることができました。 今回は天王寺から時計回りに3つ目の駅「芦原橋」で、西成区と浪速区の境界にあります。 駅の名前は付近にあった鼬川(いたちがわ)に架けられていた橋に由来するそうですが、見た目は環状線の中で最も地味な駅かもしれません。 でも、芦原橋駅は旧国鉄では全国初の「障害者用エレベーター」が取り付けられた駅として歴史に名を残しています。 そして環状線に乗ったことがある方なら駅前にそびえ立つ大きな太鼓を飾るビルに気がついたのではないでしょうか? それは日本でも指折りの太鼓メーカー「太鼓正」の本社兼ショールームなのです。 なぜ芦原橋にそのような太鼓メーカーがあるのかという話になると、いささか難しい内容にならざるを得ないのですが、シナリオを書かれる方は社会のあらゆる側面に目を向けなければならないと鳩子は考えていますので、今回は敢えて正面をきってのレポートにさせていただきます。 駅の近辺には田端、板東など至る所に太鼓屋さんが目立ちますが、この芦原橋界隈は太鼓の町です。鼓童や鬼太鼓座などの和太鼓の打ち手は人々の賞賛を浴びますが、その作り手がクローズアップされることはほとんどありません。 芦原橋界隈に太鼓メーカーが集中している背景には、その昔この一帯が「西浜」と呼ばれた西日本最大の被差別部落だったことがあります。 江戸時代には芦原橋に全国の皮が集まり皮革加工が行われていたため、この地区に厳しい部落差別が生まれました。 今では行政区画で西成区になっていますが、北開・中開・南開の「3開」、それから出城、長橋あたりまでが「西浜」だったのです。 明治の中頃には今の関西線「今宮」駅の近くに「屠場」があり、それが大阪の最初の皮と肉の供給を担い、また「馬力」と呼ばれた運送業者が数多くこの辺りにいて、町中に「膠のにおい」が立ちこめていたそうです。 当時の浪速の皮革産業は太鼓だけではなく、靴、長靴、ベルト、鞄、雪駄、膠(にかわ)など生活には欠かせない製品を生みだし、特に戦前は軍関係の大きな需要がありました。 現在も近くの地下鉄御堂筋線大国町駅周辺に靴屋が多く集まっているのは、このような歴史的な背景があるからなのです。 雨が降ると路地が浸水し、床上浸水など日常だった町も、70年万博の頃から同和運動の高まりとともに古い住宅を取り壊し、新たに住宅やアパートに立て替え綺麗な住宅地となりました。 大阪の歴史を語る上で欠かせない皮革業関係の資料が散逸するのを恐れた府と市の話し合いにより、歴史資料を保存するための施設として日本唯一の大阪人権歴史資料館が85年に建てられ、さらに95年にリニューアルされた以降は女性問題・民族問題などを取り扱う総合博物館としての大阪人権博物館(リバティ大阪)となり現在に至っています。 そんな芦原橋を散策するなら、まずは駅前の太鼓正・政楽館に置かれている大きな太鼓と山車を先ずは見に行きましょう。さらに興味がある人には太鼓教室も開催されています。 太鼓正ホームページ http://www.taikomasa.co.jp/ http://www.mediagiga.com/totsugeki/taikomasa/ ちょっと小腹が空いたら高架下の安くて美味しい焼肉屋「八光園」がお薦めです。 またお酒が好きな方は、大阪屈指の品揃えを誇る「山中酒の店」が浪速区敷津西にあります。(駅から東方向へ約300m、関西本線高架を超えた辺りです。) 支店の居酒屋「さかふね」、蕎麦の店「朴庵」は一押しです。 http://www.saikaku.co.jp/yamanaka/shokai/sakaya/sakaya.htm ※膠(にかわ):〔煮皮、の意〕獣・魚類の骨・皮などを石灰水に浸してから煮て濃縮、冷やして固めたもの。粗製のゼラチン。接着剤とし、また、絵の具や画布の製造に用いる。 |