環状線ぐるりひと周りシリーズ 〜大阪の寄席芸人が住んでいた町・てんのじ村〜 |
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天王寺は大きなターミナルですから、わざわざ取り上げなくとも多くの方は界隈の天王寺公園、動物園、通天閣、四天王寺などについて十分ご存知だと思います。 ということで、今回はかつて大阪の寄席芸人が住んでいた町、「てんのじ村」についてのみご紹介することにします。 「てんのじ村」は天王寺駅から通天閣・動物園前方向に下がって行く、阪神高速の入り口近くにあります。 現在は西成区山王(旧天王寺村)という地名ですが、一帯の長屋は、道頓堀、千日前、新世界といった演芸街に近かったため、芸人が集まる町で、角帯姿や三味線を抱えた二人連れが行き交い、三味の音に踊る影絵が障子に映り、稽古が夜遅くまで続いていたそうです。 町の歴史をさかのぼると、聖徳太子が四天王寺を建てる時に職人たちを慰めるために芸人たちを集めたという記録もあるようですが、どうやら芸人の地位が低かった明治時代に環状線の外に彼等を追いやったのがもっとも確かな町の始まりだと考えられています。 近くに飛田遊廓もあったこともあり、昭和の初め頃から終戦の年あたりまで、最盛期には300人から400人くらいの芸人たちが住み、呼び掛けるとすぐに10組程度の一座が組めたほどでした。 その後、社会情勢の大きな変化とともに衰退の一途をたどり、今では20代の芸人は海老一すずめだけで、あとはみな70才以上ばかりとなっていますが、戦災でも焼けなかったため、往時の面影を残す長 屋は今でも健在です。 かつてはミヤコ蝶々、人生幸朗、海原お浜・小浜たちもこの町の住人で、ミヤコ蝶々が通りで寝そべってヒロポンを打っていたというのは有名な話しです。 昭和52年11月、姿を消しかけた芸人の町を大阪の遺産として後世に伝えようということになり、街の篤志や芸能界の有志たちによって、阪神高速の入口すぐ東側に「てんのじ村記念碑−上方演芸発祥之地」が建立されました。 ちなみに漫画「じゃりン子チエ」や「あぶさん」が暮らしていたのもこの界隈です。 夜は少し怪しげな雰囲気もあったりするので、日の明るいうちに出かけてみてください。鉄〜!に出会えるかもしれませんよ。 【天王寺のおすすめグルメ】 明治屋 阿倍野筋を天王寺から阿倍野に向けて南に5分ほど歩いたところにある居酒屋で、周囲が再開発地域で建物がどんどん新しく変わっている中にぽつんと古びた家屋が一軒だけ残っているので、すぐに見つけられると思います。 明治屋は日本全国から酒徒が鄙びた居酒屋の風情を求めて集まる名店で、度々雑誌やグルメ番組の日本三大居酒屋の一つにも選ばれています。(日本人って本当に日本一、世界一、三大○○が好きですね!?すぐにそんな冠をつけたがる輩には日本中、世界中の店を見たことあるのか!!!と言いたくなります。)とは言っても決して客を選ぶ嫌味な店ではなく、昼13時の開店時には近所のご隠居や大学教授たちが昼酒を楽しみ、夜10時の閉店まで途切れることなく入れ替わり立ち代り様々な世代や人種が集う、まさにこれぞ典型的かつ伝統的な居酒屋の見本です。池波正太郎の小説や山口瞳の居酒屋兆冶の世界に憧れをもったことがある人にはうってつけです。 平日・祝日営業 13:00〜22:00 日曜日定休 ※おすすめはオリジナルのガラス徳利で出してくれる燗酒と玉子の皮で包んだシュウマイです。これからの季節は湯豆腐も美味! ※新梅田シティの滝見小路にも支店がありますが、雰囲気が全然違うので、まずは天王寺の本店に行きましょう。 |
小さな交通資料室様
(素材をお借りしました)