「逃げない姿勢が素晴らしいドラマを生む」 ◆ご来校記念特別講義(200211..12)◆ |
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こんにちは。私は時々、江守徹に似ていると言われます。お酒の席で江守徹にそれを言いましたら、彼は一瞬ムッとした顔をして、「僕はジェームス三木さんに似ていると言われたことはないですね。あなたは僕より西田敏行に似ているんじゃないですか」と言いました。そこで私は徳川三代で江守さんを石田光成の役にしたんですよ……と、こんな風にファーストシーンは書いてくださいね。掴みです。「ただ今ご紹介に預かりましたジェームス三木でございます」こんなのは一番つまらないです。つまり、ファーストシーンは絶対に面白くしていただきたいです。でないとチャンネルを変えられてしまいます。 |
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対立・喧嘩・もめ事・トラブル・ジレンマがドラマの基本。 主人公には欲望と劣等感を。 |
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さて、何千年も昔から芝居があるのですが、人は何故、ドラマを見るのでしょう? 芝居のなかった時代も国もありません。何故でしょう? 面白いから楽しいから……では何が面白くて楽しいのでしょう? それは芝居を見るとハラハラドキドキ緊張するからです。何に緊張するのでしょう? 対立です。人間は対立しているものを探し、そして見るのが大好きです。対立・トラブル・もめごと・喧嘩・葛藤・ジレンマ……こんな面白いものはありません。緊張感もなくゆったりできる芝居はつまらない芝居です。対立は激しければ激しいほどいい。解決は難しければ難しいほどいいです。作者が最後どうやって解決させればいいか分からなくなるほどの対立を探してください。 人間にとってドラマを見る部分は悪魔的な部分です。人間は平和を愛してはいても、同時に人間には闘争本能があります。その闘争本能がドラマの対立を欲してドラマを見るのです。新井先生の本にも書かれています。ドラマとは対立が変化することです。その変化するところにお客さんのカタルシスが生じます。 |
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人物を描くということは、その性格を描くこと。 |
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シナリオを描くこととは人間を描くことです。 さて、人間を描くこととはどういうことでしょう? 一般的には人間の感情と性格を描くことです。そして、私の場合は劣等感と欲望を描くようにしています。伊達政宗の場合、劣等感としては、幼い頃に患った天然痘から片目が見えなくなったという肉体的劣等感、母に愛されなかったというマザーコンプレックス、そしてローカルという田舎コンプレックス……と劣等感は三つもあります。そして彼の生涯の目標は何であったのか? 何をやりたかった人間なのか? というところから政宗像を描きました。 プロとアマチュアはどこが違うのかと言いますと、ディテール細部が描けるかどうかです。テーマ、題材、話の作り方はプロもアマチュアも大差はありませんが、ディテールは差のつくところです。それには、登場人物の履歴書をしっかり作っておくことが必要です。そうするとディテールが甘くなりません。 |
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脚本家は数学の達者な人がいい。 掛算の相乗効果を狙う、シナリオ数学論で。 |
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私は常々、脚本家は文才のある人よりも数学に達者な人の方が向いていると思っているのですが、私のシナリオ数学論をご紹介します。それは掛け算にするということです。すべてが足し算ではなく、掛け算になっていることが、シナリオの基本です。掛け算とは相乗効果ととらえてください。例えば、AがBにCの悪口を言うファーストシーン。次のシーンではAはCのところへ行き、Bの悪口を言う。そうなるとこれは掛け算で因数分解になってきます。ファーストシーンと次のシーンの対立が生じてきます。構成とは因数分解です。足し算にしかならないものは、思い切って捨ててください。なくてもいいシーンはあってはいけません。絶対その話に必要なもので成り立っていて、しかも掛け算の相乗効果を狙う……そのようなシナリオ数学論をお勧めします。 |
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最近のテレビドラマは、テンポを優先して、 書かなければいけない大事なことから逃げている。 |
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最近はテレビドラマのレベルが落ちてきています。 テンポをあげなければいけないといった問題があるのですが、大事な書かなければいけないところに来ると、逃げてどんどん次のシーンへ飛びます。 みなさんには、粘り強くひとつのシーンを書ききる、決して逃げないという姿勢を訓練していただきたいと思います。ドラマは変化です。変化するところまで逃げないで書ききってください。書くのがつらいところほど、ドラマのあるところです。逃げたくなるところほど、美味しいところで、ドラマのあるところです。逃げられないといった制約で自分を縛って、ぜひじっくり力をつけていただきたいです。 |